京の人
『京ごよみ』 2007年9月号 (京都観光推進協議会、京都市観光振興課)
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さわやかな初秋に訪れたい名園。国の名勝である無鄰菴、平安神宮神苑を手がけた「京の庭師」の“植治流”とは何か──宝暦年間、元祖植木屋治兵衞として創業から250年余引き継がれてきた庭づくりに対する熱い想いをおうかがいしました。
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庭づくりはまず人づくり
「植治」の屋号を名乗り始めた七代目は私にとって「ひいじいさん」にあたります。私が仕事を始めた頃は七代目を知っている施主さんも多く、生きた言葉で昔のことを教えて下さったのは勉強になりました。七代目は明治10年に婿養子で来て、2年目に先代が亡くなり跡を継がなければならないという、大変な苦労をしてるんですね。
昔は家督相続というと何もかも責任を背負わなければいけない。また、当時の京都は不況で仕事もない。死のうと思ったことも何度かあったそうです。ただ、お得意様にお寺や神社が多かったこともあり、聖地で心が洗われ癒されたのでしょう。自然というものに惹かれると同時に観察をして、自然の移り変わりや、いろんなものが循環している中で生きているということもわかったようです。
さまざまな経験を積んで人間は大きくなる。苦難の10年は七代目にとって豊かな経験と試練となり、一番造園家に必要な心を持ち合わせることができました。
私たちの仕事は自分の作品をつくるのではない。作らす人がいてこそ庭ができる。庭をつくっておいて、「買うておくれやす」っていうわけじゃないんですね。施主の方に十分にご意向、ご趣味、ご意見、家族構成など、それから、何のためにつくるかという目的性も十分に考慮したうえで庭づくりをする。施主になり代わって、庭づくりをしますから、人の気持ちがわかるということが造園家にとって一番大切なことです。技術は努力によって後からでもついてくる。
七代目は何よりも人づくりを大切にしました。たとえば、紙にマルを書く。上手下手はともかく、いろんなマルがあり、同じ人でも朝昼晩、その時々で違う。元気な人は勢い良く、穏やかな心で書けばやさしくなる。
マルを書くのが仕事なら、お客様が元気なマルを希望した時に、注文通りのマルをつくり、そこからお客様は元気をもらう。それが庭です。墨のすり方とか筆の持ち方とか、技術というものはその方の工夫です。むしろ一所懸命にする。何をどうしたらいいか自分の信念のもとに書ける。そういう人間づくりが私どもの人間づくりであり、豊かな心の器づくりです。
借景じゃない自然が自然を呼び込む
七代目には2つの路線がありました。
一つは町家の延長です。灯籠や庭石を置いて、住人よりも来客を重視するものです。
もう一つの路線は自然環境の庭です。琵琶湖疏水が完成し、いよいよ庭にも生きた水を使うことが可能になった明治27年、七代目は無鄰菴と平安神宮の神苑に着工します。
無鄰菴は山縣有朋公の別荘庭園で、七代目は山縣公より、人の住まいの庭は明るく穏やかなものが一番だと教わりました。
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《無鄰菴》
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京都の町おこし事業の中心として創建された平安神宮には、西神苑、中神苑、東神苑という3つの神苑を順に残しています。それぞれに白虎池、蒼龍池、栖鳳池を持ち、川でつながっています。
琵琶湖疏水から流れる水は、飲料水としての「命の水」、電気を起こす「科学の水」、運河の「交通の水」、そして、庭づくりの水。これを「文化の水」と私は呼んでいます。
この4つの水は、その後の京都の発展と安全を願う「祈願の水」でもあります。境内一面に敷かれた白川砂はお浄めの砂であり、朱塗りの御神殿とともに非常に明るい空間をつくっています。
また、白川砂そのものは古来の都人にとっては枯山水で見立てた幻の水でした。明治以降の琵琶湖疏水の水と、都人が創り上げた見立ての水が御神殿をグルリと取り囲んでお守りしている。それは千年間、ものすごく水に苦しんできたという、都人の想いを癒す水でもあるんですね。
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《平安神宮 中神苑》
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京都だけではありません。もう一歩掘り下げると、平安神宮表参道の両側には海岸線に生息するクロマツ、神苑には日本列島を形成するアカマツと、松を使い分けすることで、平安神宮は日本列島そのものを象徴し、日本の平和を願う水でもあります。
四季を織り込んだ庭も七代目の作り方です。春の桜、山吹、初夏には菖蒲、杜若、真夏にかけて睡蓮とか百日紅、秋は萩やモミジが楽しめます。冬は普遍の松。木々については、松が100本とか、桜の木など市民の寄付もありました。
三条大橋、五条大橋の架け替えの際には橋脚、橋桁などの廃材を蒼龍池の臥龍橋に使っています。橋桁や橋組で造られた飛ひ石は横からみると龍が蛇行して泳いでる姿を表しています。
残念ながら最近は、水生植物がはびこってますが、七代目は水鏡を想定していました。渡って行くと池に大空、雲、太陽が映ります。まるで一歩一歩、雲の上を歩いているような、あるいは龍の背に乗って雲の間を舞うような清々しい気分になるのです。
最後に造られた栖鳳池は琵琶湖の地図を基に琵琶湖そのものの形を再現しています。
3つの大きな庭はいずれも規模のわりに池が大きいのが特徴です。それだけに非常に明るく見晴しがよい。対岸に植えた木がよく見えます。松林、桜、モミジ、楠、同種のものが寄り添って植わっている。自ずと平安神宮の自然が再現される。目線を上げると東山が望める。人は借景といいますが実際はそうじゃない。平安神宮の自然が、自然の東山を呼び込む。同化して参加してくるわけです。
さらに大空までが庭に同化して参加してくる。広大な池に映り、2倍体となり、限られた敷地に無限大の大空が参加した時、無限の宇宙の広がりを感じる庭が出現する。地球上の水と空と大地がバランスよく組み込む。それが七代目の庭であり、植治流、植治の庭なんです。
ほんのわずかな時間でもいい。ぜひ、神苑の琵琶湖一周を歩いてみて下さい。ものの考え方が変わりますから。
緑が失われた分だけ人の心も失われている
だから癒しの空間をつくる
庭というのは生き物です。施主の気持ちに代行して守り、また、時代背景に合わせても進化させていかなければならない。
どんなに素晴らしい庭でも100年そのまま保つものではありません。時代が要求するもの、喜ばれるものを取り入れていくことが必要です。
庭から何を学ぶか、どんなエネルギーがもらえるか。私は庭を通して、希望というものを与えていきたいと思っています。
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平安神宮の姉妹庭園
《洛翠庭園》
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地球の温暖化は自然のバランスが崩れている警告ですが、人間もバランスが崩れています。
生まれたての赤ちゃんの心は、みんな穏やかで真っ白。つきたてのお餅のように汚れのない、温かくてやさしい。これが本来の人の心と思うんです。緑が失われた分だけ、人の心も失われています。
庭づくりは人の手が入りますから不自然な自然です。でも一番、自然に近い仕事です。同じ庭をつくるのなら、どんどん失われていく自然を身近に感じてもらえるような、のぞき窓にしたい。
そして、明るい、楽しい、きらめく、豊かな、そして美しいという自然を再現してきました。庭という住まいの中の身近な自然に集い、心を癒していただく。
静かに自然に向き合った時、自然て大切にしなあかんのや、そういう心を起こしていただくのが私どもの庭づくりです。
京都から発信してますから京都発“心の議定書”にしたいというのが植治の庭づくりです。
表紙
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株式会社 造園 植治
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