桜の姿
『月刊京都』 2006年4月 (白川書院)
伝えたい暮らしのこころ////今月の風物詩から////
桜の姿
艶やかに誇り、しとやかに濡れ、はらりと舞い散る。そんな桜の儚さは、限り有る生命の無情観を美徳とする、我々日本人の心を捉えて離さない。バラ科サクラ属より梅・桃・杏等を除くものの総称である桜は数百もの品種を数え、菊と並び国花として親しまれている。
花に酔いしれ、夢を馳せ、自らをも投影する。桜を愛でるお花見も、古今を問わず国民的な行事であり続け、人々は京の名所にも多くの足を運ぶ。仮に桜のつぼみが膨らまねば、春の訪れを見失い、人生の区切りにおける場面場面での思い出までも色褪せてしまうであろう。桜を見上げ、時の移ろいを感じ、我々は大切な思いを育んで行く。
桜に纏わるところで、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言い回しがある。聊か乱暴にも響くが、それだけ深くの思い入れを日本人が持って来た裏返しだと言えよう。旺盛な萌芽力故、適度に枝を透かす事が望まれる梅に対し、腐食し易い切り口故、大きく枝を落とす事は禁忌と見なされて来た桜。よって積極的な剪定をなされず湛える奔放な姿は、桜の大きな魅力の一つとなっている。
しかしながら所変われば考えも変わる。ミラノ郊外に並ぶ桜は「切らぬ馬鹿」宜しく、奔放さは全て削ぎ落とされていた。
双方を対比する事により、日本人が如何に本来の樹形を大切にして来たかが浮かび上がる。しかし「切る馬鹿」とまで表して守り通したものは、見た目の姿のみなのであろうか。もっと精神的なところにも起因するのではなかろうか。
紐解く鍵は名前の由来にもありそうだ。桜を「穀霊(さ)」「座(くら)」と解し、稲の神の依代と崇める一説がある。また富士の山を守護する「木之花咲耶姫(このはなさくやひめ)」に関わるとする一説もある。神秘性の宿る桜故、その姿も神聖に守り続けたとは言えまいか。
今日も我々を見守っている桜。そこには沢山の思いが重ねられている。いにしえびと古人が、そして都人が守り続けた思いも尚生きている。
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