真剣な会話
Q.京都では毎年、春は桜の名所、秋は紅葉の名所へと多くの人が訪れます。「見せ場」の季節は想定して作られるものなのですか?
季節によって主役となる樹木はありますが、お庭に無駄な季節はありません。可能ならば、一年を通してお庭の変化を観ていただきたい。
例えば、モミジ。今の季節は紅葉も終わり、葉も落ちてしまいました。多くの人は葉が落ちれば見頃は終わったとなります。でも、個人的には新緑の淡い黄緑色が一番好きなんです。4月くらいに出てくる新芽は、これから開いていくというエネルギーの高まりが見える。夏になると葉が開き、強い日差しをさえぎるような力強さを持つ。そして秋の紅葉があり、葉が落ちる冬を迎える。
冬の状態しか見たことがなかったら寂しいだけかもしれませんが、淡い黄緑色、力強い緑、紅葉と季節の変化を知っていたら、枝先に雪の積もる冬の状態も必要なのだと思います。西欧では、季節の移り変わりをその時々に咲く花で感じますが、日本人は一本の樹木で感じることができる。どこかそういう心があるのでしょうね。
Q.では、冬のお庭の見所は?
実は、冬はチャンスなんです。冬のお庭からはみなさん物悲しさを感じるようですが、お庭の骨格が浮かび上がる季節。花や紅葉がなくなったときこそ、彼らの美しさを支えていた土台の部分が見えてくるのです。全体がどんなお庭だったのか、心をニュートラルにして向き合うことができると思います。花や紅葉がない時に、見るに耐えないお庭の力量は推して知るべしです。そういった意味では、冬は煌びやかさを排除したお庭の、本当の力量が試される時なのかもしれませんね。
Q.訪れる人には、どのようにお庭を見てほしいと思われますか?
あまり難しく考えるのではなく、ほんの一瞬でもご自身のお庭だと思ってみてください。図った訳でもなく、ふと立ち止まり、池をのぞく。お庭と対話して、お庭の一部になる。そうすると、主役の樹木や石がないとお庭が構成できないのと同じように、あなたがいないとお庭が成り立たなくなる。こう考えるようになれば、お庭の中で自分の好きな場所も見つけられると思います。
そもそも、どうして人がお庭を求めるのかといったら「自然への憧れ」だと思うんです。地球という大きな自然を自分たちの領域にしてきたのに、どこか日々の暮らしの中に自然の面影を求める。なんとしてでも近くにいたい、という思いなんでしょうね。京都を訪れる機会があったら、ぜひみなさんにも、お庭を通して自然の一部になっていただけたらと思います。
- 植治 小川勝章さん
- 1973年東京生まれ、京都育ち。江戸宝略年間(1751〜1763年)より京都で造園業を営む「植治」で、高校入学と同時に父である11代目「小川治兵衞」に師事。新たな作庭に加え、歴代の手がけた庭園の作庭・修景・維持を行うほか、講演や執筆活動でも活躍中。
◆植治HP
http://www.ueji.jp/
◆小川勝章さんのブログ
http://ueji.blog71.fc2.com/