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疏水の庭「洛翠」
『日本の老舗 No.266』  2009年8月号  (白川書院)

疏水の庭「洛翠」     京の水探訪(18)    鈴木康久

京都は、庭づくりにおいても「みやこ」である。世界で最も古い造園書とされる『作庭記』(平安後期)や『嵯峨流古法秘伝書』(室町時代)、秋里籬島が図絵を多用し庭づくりの法則を説いた『築山庭造伝・後編』(江戸後期)など多くの作庭書が京都で書かれている。
これらの書物に記された技法を駆使した「池泉庭園」、「枯山水庭園」、「茶庭」などの名園を京都で楽しむことができる。これらの伝統を踏まえ、明治という変革の時代の中で新たな庭園様式を生みだす契機となったのが「琵琶湖疏水」である。

日本の老舗No.266 疏水の水の取り入れ口。

琵琶湖疏水は東京遷都によって沈滞した京の都を復興するために、第3代京都府知事の北垣国道が弱冠23歳の土木技師であった田辺朔郎に命じて建設した琵琶湖と京都を結ぶ水路である。その利用については、水道や水力発電、資材の運搬などが知られているが、起工趣意書の最初に書かれている目的が「水車をまわして機械を動かし、新しい工業をさかんにする」であったことを御存じの方は少ない。
明治21年のアメリカ視察によって、水車の時代では無いことを悟った田辺技師は、東山の若王寺・鹿ヶ谷村に予定していた水車を動力した工場団地の計画を大きく変更させた。これによって工場団地として整備される予定であった南禅寺の周辺には、不動産を業としていた塚本与三次らによって豪商や政治家の邸が建てられていく。ここに新たな庭園づくりの需要が生まれることになった。

この庭園づくりで脚光を浴びたのが植治である。
植治は、自然を大切にしながら、琵琶湖から取り入れた水を自在に扱い、池を中心にした「流れのある庭」に開放的な空間を創りだす独自の手法で、山縣有朋邸の「無鄰庵」や、平安神宮の「神苑」、西園寺公望邸の「清風荘」をはじめ、野村碧雲荘、織宝園、洛翠、有芳園など多くの「疏水の庭」を手がけている。

この疏水の庭のひとつである藤田小太郎邸の洛翠を、第11代植治の小川治兵衛さんに案内いただく機会を得た。
最初に伏見桃山城から移築された「不明門」から小川の流れを見る。水の流れに導かれて園道を上がると、池が広がり、その先の東山の緑と空の青さが目に飛び込んでくる。

日本の老舗No.266 【洛翠庭園 全景】
水の輝きひとつから自然の力を感じる。

池を眺めながら、お庭についてのお話をいただく。
「5年前に見た時は、樹木が生い茂り、7代目の作庭時とはまったく違うお庭でした。そこで、まず、池の形が見えるようにしました」、「明るい部分と暗い部分の比率が4対6であったのを、6対4に変えました。今の施主は明るい庭を好まれますので」と、日本庭園には珍しい芝生に座り、ゆっくりとした時が流れる。

日本の老舗No.266 京都三仙堂のひとつ 画仙堂。

視線の高さに水面があるため、この場所からはわからないが、洛翠の特徴のひとつは池にある。
『作庭記』に「国々の名所をおもひめぐらして、その趣きのある所々を取入れ、自分のものにして……」とあるように、洛翠の池は琵琶湖を模した形状となっている。南海電車や関西電力などの創始者であり、琵琶湖の大津、長浜、今津間の汽船業を営む藤田家の方々は、この琵琶湖の出現をどのように受け止めたのであろう。

日本の老舗No.266

池と庭の関係について訊ねると、「臥龍橋から下池の周囲は、小さな石を横に使い拡がりを持たせ、空を取り込むようになっています。水深も浅くし、水がキラメクことで軽快さを感じるように作られています」、「上池は大きな石を縦に使い、視線が下にさせる工夫が見られます。
良い庭は目線が下がります。逆に、悪い庭は目線が上がり、空だけを眺める落ち着きのない庭になります」と、作庭の秘伝を聞いた気になる。庭づくりと水の関係については、「水の動きを大切にし、動と静の組合せで喜びの水を表現するように心がけています」と教えていただく。
『徒然草(第55段)』に「深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、遙かに涼し」とあるのを思い浮かべた。

明治42年に作られた約千坪の庭園は、郵政省(現在 総務省)が所有しており、昭和62年から京料理を楽しめる宿として多くの方に利用されてきた。しかし、この5月に閉館することになった。平成15年に当代植治の手によって、光を取り戻した名園が公開されなくなる。当代も庭がこれからどのようになるのかは知らないという。庭づくりに込められた思いを、次世代へと引き次ぐことが、私たちの役目であろう。

洛翠のように疏水の水が引かれた庭園については、日本庭園文化史や京都の庭園に関する研究者の調査がある。それによると、疏水の水系は、扇ダム系、南禅寺系、市田系など8系統に分類され、洛翠は扇ダム系に属する。この扇ダムから水を引く庭園は、真々庵や清流亭など第7代植治の代表作が多い。
疏水を庭園で用いたのは、明治26年に円山公園の噴水で使われたのが初めてというが、どうも噴水のある庭は、少し線が堅くて馴染めない。当代が何度も口にされたように、庭はアクビがでるぐらいが一番なのかもしれない。

表紙
日本の老舗No.266

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