京を創る人びと●庭士 七代目と無鄰菴
『月刊京都』 2009年1月号 (白川書院)
京を創る人びと●庭士 七代目と無鄰菴
挑戦、折々にそれはエネルギーの源となり、アイデンティティーの象徴となる。入は過去に学び、刺激され、今に錯誤し、奮い立ち、未来に挑み、伝え行く。
無鄰菴(むりんあん)を訪れた。かつて山縣有朋公の別邸であったこの庭園は、時代を経ても、なお挑戦心に溢れている。節目節目に訪れるこの庭園で、私は作庭を手掛けた祖先七
代目小川治兵衞の心に触れる。またその先を開拓すべく力をもらう。
無鄰菴では数々の挑戦が試みられた。琵琶湖疏水を取り込み、時代の流れも取り込ん
だ。滝を三段に落とし、水量を三倍にも見せた。水面を浅く広げ、空をも映し込んだ。
なかでも大きな挑戦は、庭園中央に芝生を配したことである。
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《無鄰菴》
山縣公のプライベートガーデンであった無鄰菴。今は人々が憩うパブリックガーデン
として、新たな役割を担う。
それに伴う庭園の進化も求められる。
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日本庭園において当時主流ではなかった芝生が受け入れられるに至った背景を鑑みる。
山縣公との出会いもその挑戦の支えとなった。
西洋に精通していた山縣公にとって、芝生はガーデンパーティー等で馴染みのある存
在であった。
また何より着目すべきは日本芝の特性にある。年中緑色の西洋芝に対し、日本芝は秋
から冬にかけ色素を失い、茶色く変色する。枯れたかに見受ける芝生が何故に心を捉
えるのか。それは田園風景を重ねるからではなかろうか。米と同様、芝生はイネ科で
ある。だから故、実りを迎える稲穂を連想させる。
不思議と郷愁の思いにかられるのはその為ではなかろうか。
今や日本庭園に芝生が存在することに何の抵抗もない。かつての挑戦は今の当然を生み出した。庭園に広がる田園風景を前に思いを新たにする。庭園そして私も挑戦を重ね続けなければなるまい。
当然のものとして、それが受け入れられるとは限らなくとも。
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《無鄰菴》
滝口より池を振り返る。浅い水にも関わらず、深い空が広がる。見つめる自身の思い
も深くなる。
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最近手掛けた庭園。手水鉢はワインクーラーとしても機能する。
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手水鉢横に、橋板を用いたカウンターテーブルを組む。
茶室への待合い、また野点の立礼席として、茶事の折にも活躍する。
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表紙
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