植治Ueji

京の名庭を訪ねて  無鄰菴に見る庭作りの心
『きょうとシティグラフ』  2006年春号  (京都市広報課)

京の名庭を訪ねて  無鄰菴に見る庭作りの心 《無鄰菴》
無鄰菴(むりんあん)に見る庭作りの心
「植治」について
「植治」は、今から約250年前の宝暦年間(1751年)の創業で、以来、私どもでは造園を家業として、代々、治兵衛の名を継いできました。私でちょうど11代目になります。
特に、私のひいおじいさんに当たる7代目は、明治大正の時代にあって、「植治流」ともいわれる新しい庭作りの手法を確立した人で、京都だけでも、平安神宮神苑や円山公園、無鄰菴、清風荘(西園寺公望邸)や藤田小太郎邸(現洛翠)など数多くの庭を手掛けています。

山縣有朋公と無鄰菴
数々の庭作りに携わる中でも、それまでの伝統的な日本庭園とは違った新しい庭作りを始めるきっかけとなり、7代目にとって大きな転機となったのが、山縣有朋公からご依頼を受けた無鄰菴の作庭でした。
無鄰菴は、山縣公の京都の別荘で、最初は比較的賑やかな木屋町二条にありましたが、山縣公がもう少し静かな環境をとお望みになって、新しく岡崎の地に建てられたのが現在の無鄰菴です。
当時、国政に当たられて大変ご多忙だった山縣公は、京都にご静養においでになった際、伸び伸びとくつろげる環境を求めておいででした。ですからお庭も、形式や装飾に捕らわれない素朴で自然な美しさのある、癒しに繋がるような庭を希望されたのです。
それまでのお寺の庭やお茶庭などが宗教的世界観や佳び寂びの世界といったものを表現するために作られ、作庭方法も伝統的な形式を踏むことがほとんどだったのに対し、山縣公の望まれた庭は、そうした庭とは全く違った性格のものでした。
庭作りに当たって山縣公から具体的なご注文が三つありました。
一つ目は明るい芝生の空間を作ること。二つ目はモミや檜や杉など、今まで日本の庭では脇役に使われていた木をたくさん使うこと。そして三つ目は、完成したばかりの琵琶湖疏水の水を庭に取り入れることです。

新しい時代の庭
こうしたご注文は、どれも初めてのことばかりでしたが、七代目は山縣公のお気持ちを理解し、また、自分なりの考えも入れながら、一生懸命、作庭に取り組みました。
広い芝生の空間は、西洋庭園によく見られるものですが、それをそのまま取り入れるのではなく、地面に起伏を付けたり、芝生の間に石や低木を置くなど様々な変化を付けて、日本庭園によく調和する、新しい日本風の芝生空間を作り出しました。
一方、お庭を取り囲む林のように植えられているのは杉や檜、モミなどの針葉樹。木々の足元の暗く影になった所には苔を敷き詰めています。芝生の空間と林の空間、その光と影がお庭にちょうどよいコントラストと奥行きを与えています。
芝生や、杉、檜などの新しい素材とともに、7代目が行った自然で自由な表現が無鄰菴の庭の特徴です。そうして出来上がった庭は、まるで自然の風景を写し取ったような、素朴で伸び伸ぴとした美しさのある「新しい庭」でした。
無鄰菴の庭は、決して難しく考えたり、緊張して向き合うものではありません。山縣公のお望みになったように、ゆったりとリラックスして心安らぐ空間。それが、無鄰菴の庭なのです。
京の名庭を訪ねて  無鄰菴に見る庭作りの心 《洛翠》
7代目小川治兵衛の中期の作。施主の藤田家が琵琶湖に関係の深い事業を行っていたことにちなみ、庭園中央の池は琵琶湖を忠実に再現した形に作られている。実際の瀬田の唐橋や琵琶湖大橋とちょうど同じ場所に橋が架けられている。
京の名庭を訪ねて  無鄰菴に見る庭作りの心 《無鄰菴》
庭の池に鯉を飼うことを好まなかった山縣有朋公は、代わりに鮎などの小魚を放し、浅瀬で魚たちがぴちぴち飛び跳ねる様を楽しんだという。この池が深さ2〜3cmと非常に浅く作られているのは、水は浅いほど広く感じられることから、庭に広がりを持たせるための視覚効果を狙ったもの。その水面に空が映り込むことで、庭は無限の広がりを見せる。
琵琶湖疏水の水を引く
明治の一大事業であった琵琶湖疏水の水が使われたことも、この庭を「新しい庭」と呼ぶのにふさわしいものにしています。山縣公のご注文によって、疏水の水を作庭に活かせるようになったことは、7代目にとって大きな喜びであったようです。
京都は昔から水の都として知られていますが、普段は美しい風情を見せる鴨川も、日照りが続くとすぐに干上がり、また大雨の季節には、あっという間に氾濫する「暴れ川」で、京都の人々は長い間水に悩まされていました。
明治の一大事業、琵琶湖疏水の完成は、まさに京都の人々に恵みの水をもたらすものでした。もちろん、草木を扱う造園の仕事において、水は命のように大切なもの。水不足のために、せっかく植えた庭の植物を枯らしてしまうこともあったといいますから、貴重な水をふんだんに使えるようになったことは、7代目にとって人一倍嬉しいことだったに違いありません。
そう思って眺めてみると、無鄰菴の庭の中で、水が実に豊かな表情を見せていることに気付くと思います。滝となって激しく落下する水。浅瀬をころころからからと流れる水。池の中ほどで静かにゆらめく水。小川を軽やかに駆け抜ける水。これらは、新しい水と巡り会った7代目が、その喜びを表現したものといってもいいでしょう。
京の名庭を訪ねて  無鄰菴に見る庭作りの心 《洛翠》
一木一草を大切に
無鄰菴をはじめとする7代目の仕事を見て感じますのは、施主のお気持ちを理解し、それを庭の中に反映させていくことが造園家の役割だということです。無榔奄の「新しい庭」作りもそこから始まりました。
また、7代目は自然に対して敬虔な気持ちを持った人で、常に「一木一草を大切にする」ことを信条にしていました。一本の木を植えるのにも、その木に合った植え方や環境を考える。そういった草木への思いやりが、自然で美しい表現にも繋がっていったのだと思います。
木、土、石、水、風、空、月、雨、雪など、自然界に存在するあらゆるものがすべて造園の材料となります。「自然を大切にする」こと。やはりこれは、いつの時代にも忘れてはならない庭作りの原則です。

庭園とは
そもそも、お庭とは何かと考えてみますと、例えば、私たち人間は山登りをします。険しい山道を苦労して登って、ようやく頂上に着いたとき、私たちはまるで自分が自然の一部になったように感じ、大きな感動を覚えます。そうして、満ち足りた気持ちで山を下る途中、小さな湧き水に出会うと、思わず手を差し伸べて清らかな水を口に含み、ほっと安らかな気持ちになります。
大自然の中で、私たちがそのように行動したり感じたりするのはなぜか? それは自然というものが、太古の昔から人間の体の中に組み込まれているからではないかと私は思います。私たち人間も、大昔、自然の中から生まれてきたのです。
そんな人間が庭というものを作ったのは、もともとは自然を所有したい、自分の傍に置きたいという願望からだったのではないでしょうか。
しかし、残念なことに、人間はこれまで長い間、自然を破壊し続けながら生きてきたこともまた事実です。そして、身のまわりにほんの少しの自然しか残されていない現代にあって、ささやかな自然に出会える場所。それが今、庭というものが持つ意味なのかもしれません。
ですから、お庭を訪れることで、ほっと安らぎを感じていただくのと同時に、自然の素晴らしさに気付き、自然を大切にしようという気持ちを持つきっかけにしていただけたら、これほど嬉しいことはありません。
昭和8年、7代目が亡くなるときに遺言として残したのは、「京都を昔ながらの山紫水明の都に戻さなければならない」という言葉でした。
京都へおいでになる方々が、心の豊かさをおみやげに帰っていただけるような、そんな美しい都であってほしいと願っています。

表紙
京の名庭を訪ねて  無鄰菴に見る庭作りの心

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